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日本競馬史についての考察 3

1982 バンブーアトラス/ヒカリデユール
1981 カツトップエース/ホウヨウボーイ
1980 オペックホース/ホウヨウボーイ
1979 カツラノハイセイコ/グリーングラス
1978 サクラショウリ/カネミノブ
1977 ラッキールーラ/テンポイント
1976 クライムカイザー/トウショウボーイ
1975 カブラヤオー/カブラヤオー
1974 コーネルランサー/キタノカチドキ
1973 タケホープ/タケホープ

上記はミスターシービーが3冠を達成する前年の1982からハイセイコーが登場した1973年まで遡ったダービー馬と年度代表馬の一覧である。

年度代表馬の顔ぶれを見て気付くのは、73~76年は3歳馬、77~82は古馬という点。
3歳で年度代表馬に輝いた4頭のうち、タケホープ、キタノカチドキ、カブラヤオーは二冠馬であり、トウショウボーイも皐月賞、有馬記念とGⅠ(八大競走)2勝(前記の二冠馬3頭もこの年の獲得GⅠは2勝のみ)。

当時『GⅠ』はなく、八大競走のうち5レースが3歳限定戦で、天皇賞は勝ち抜け制。
天皇賞に勝った古馬に残された目標は有馬記念しかない上、勝てば勝つほど増えていく斤量との戦いを余儀なくされた。
当然、短距離路線など整備されておらず、3歳・長距離馬至上主義という古馬・短距離馬受難の時代である。

73年はどういう訳かハイセイコーがアイドルホースとなり、第一次競馬ブームを作り出したそうだが、スタミナに勝るタケホープが二冠を達成し、有馬記念でハイセイコーと天皇賞(秋)を勝ったタニノチカラが揃って敗れたため、オープンを2勝しかしていないにもかかわらずタケホープが年度代表馬に輝いた。

74年はキタノカチドキが年間7戦6勝(この時点で通算11戦10勝)という素晴らしい戦績で二冠を達成し、文句なしの年度代表馬に輝く。惜しまれるのは唯一の敗戦が東京優駿だったこと。これが成績の割に今一つ知名度がない所以である。ハイセイコーやタケホープは勿論、後述のカブラヤオーにも何ら引けをとらない名馬だと思うのだが・・・。

75年は狂気の逃げ馬カブラヤオーが二冠を達成。牝馬路線ではカブラヤオーと同じ菅原泰夫騎乗の逃げ馬テスコガビーが牝馬二冠を達成。どちらも説明不要の名馬である。障害ではグランドマーチスが中山大障害と京都大障害をそれぞれ春秋連覇し、前年に続いて最優秀障害馬に輝いた。

76年は所謂TTの年であり、マルゼンスキーがデビューした年である。

77年は引き続きTTとグリーングラスらが覇権を争う一方、マルゼンスキーが出走できないクラシック戦線は低調に終わった。結局マルゼンスキーはTTと対戦することなく、無敗のまま故障で引退。マルゼンスキー・・・とても有名な馬に対して月並みではあるけども、この馬は強すぎた。

78年は正直、何も言うことがない。所謂冬の時代突入である。1頭挙げるなら障害のバローネターフ。前年に中山大障害、東京障害特別をそれぞれ春秋連覇し、この年は中山大障害(春)は2着に終わったものの、秋は優勝。翌年は同レースを再び春秋連覇し、中山大障害5勝という金字塔を樹立したとてつもない名馬なのだ。その割に、前述のグランドマーチスなどと比べて知名度が低い気がする。

79年はハナ差で有馬記念を勝っただけの老兵グリーングラスが年度代表馬である。どんだけレベルが低いんだよ?って話であるが、これは前年のダービー馬サクラショウリが天皇賞(秋)と有馬記念でそれぞれ5着、6着に終わったことが原因と思われる。サクラショウリはこの年のAJCC(グリーングラスは2着)、目黒記念(春)、宝塚記念(グリーングラスは3着)を勝ち、天皇賞(春)でも2着しているが、宝塚記念は八大競走に含まれていないため、八大競走0勝。そんな馬が年度代表馬になれるはずがないのである。

80年はホウヨウボーイの時代到来である。骨折によりクラシックを棒に振ったが、前年から一歩ずつ条件戦をクリアしていき、オープンクラスの日経賞を制覇(ちなみに次走は1200万条件下の大沼Sを勝利)。天皇賞(秋)はプリティキャストの前に7着と大敗するも、有馬記念で前年のダービー馬カツラノハイセイコをハナ差下して年度代表馬に選ばれる。このハナ差決着に負けていたら年度代表馬はカツラノハイセイコになったと思われる。

81年もホウヨウボーイが年度代表馬に輝く。天皇賞(秋)のモンテプリンスとの叩き合いは語り草だが、この年から始まったJCでモンテプリンスと仲良く6、7着だったことがこの馬の評価を下げることになった(ゲートに顔をぶつけて歯を3本折りながらの出走ではあったが)のは否めない。2年連続の年度代表馬でありながら、前述の理由や早世して血を残せなかったことで今一つ影が薄い、或いは暗黒時代の名馬(?)扱いされることが気の毒ではある。

82年の年度代表馬は6月まで地方競馬で走っていたヒカリデユール。有馬記念でアンバーシャダイをアタマ差下したのが唯一の選定理由である(JCで僅差の5着というのもポイントが高いと思いたいが)。有馬記念・・・このレースを勝った馬がそれ以前の戦績に関係なく年度代表馬なのである。

といった感じで、AfterハイセイコーとBeforeミスターシービーではもう完全に別時代である。
特筆すべきは有馬記念の価値の高さである。恐らくレースとしての価値は天皇賞の方がはるかに上だったと思われるが、年度代表馬レースに於いては最も重要なレースであった。

次回は、ハイセイコー以前の競馬について考察してみる。

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